東欧

2007年11月21日 (水)

東欧の田舎町。

久々、快晴。田舎の朝は、寒くてもさすがに気持ちいい。どこの国でSany2367も田舎に行くと人が良くなるのは一緒で、ここは今までの宿の中で、最高に優しい管理人さんだ。最後にここにこれて良かった。東欧の教会や僧院は旅行シーズンではないのもあろうが、どこも人が少ないし、おごそかで、キリスト信仰でありながら、どこかワビサビとも言える情緒に 満ちている。また、東欧の中でも所得水準の低いブルガリアのそのまた田舎町だけあって、結構古い車が走っている。旧東ドイツ製の悪名高い公害車「トラバント」が何台もあるのには、驚きである。
 あと何泊かしたかったが、今日の夜行でイスタンブールへ移動。寝台のある列車で移動する予定だったが、国際列車の切符は何故か午後4時までしか購入できないらしく、仕方なくバスにて移動する事に。Sany2373

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月20日 (火)

ブルガリア正教の総本山。

ブルガリアと言えば、そうヨーグルト。スーパーでも、カフェでもSany2232 、キヨスクでも想像以上にヨーグルトを見かける。昨日買っておいたヨーグルトを朝食べて、「ブルガリアでヨーグルト」達成。東欧では、大都市巡りだけだったので、今日はブルガリア正教の総本山「リラの修道院」の日帰りツアーに参加。東欧の修道院は雰囲気があるって聞いていて、行ってみたいとは思っていたが、西欧の教会とは違う、匂い、雰囲気があり、山奥という立地もあるが、今まで見た宗教施設のなかでは、一番心に残った。ソフィアは昨日の一泊のみ。今日は宿で会った日本人の学生に勧められたブルガリアの田舎町に移動。夜ついたが、それでも人といい、町並みといい、雰囲気の良さがにSany2283 じみ出ている。やっぱり長期旅行は田舎町を訪問しないとダメですね。日程の都合で一泊しか出来ないのが残念。ブルガリアは物価も安いし、結構お勧めですよ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月19日 (月)

ブルガリアで中華。

 勝手な主観ではあるが、ブルガリアの首都ソフィアは今までの東欧諸国に比べてSany2220 、明るく開かれた街という印象。ホステル検索サイトでも快適そうな宿がたくさんあり、長期旅行者には人気のある街のようだ。セルビアで会った日本人に教えてもらった中華の店にさっそく行って、「八宝ラー菜」と「海鮮米粉」を食す。付いてきた白米は最高にクサクテ食えず。ただ現地の皆は普通に食べてた。。同部屋になった台湾人のおっさんは英語ペラペラで、インターネットにうまく接続できずに困っていると、手動で設定を変えて繋がるようにしてくれた、とてもスマートな人。50歳くらいで、身なりも汚いが、部屋でもいろんな人とコミュニケーションを自然に取れて、かっこよかった。その人に寄ると、台湾や香港に行くより、中国の内陸をまわった方が、面白いよ。という事で、そっちのルートも計画してみようかな?と思う。うちの親父Sany2227 は10数年前、仕事で中国南西部にすんでた事があるが、その時はまだ日本人は好かれておらず、石を投げられた事がある。と言っていた。僕は中国人にそっくりなので、まぁその心配はないでしょうし。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月18日 (日)

予定変更、今日ブルガリアへ。

 次の目的地、ブルガリアの首都ソフィアまでは移動時間12時間と、Sany2208 長い。バスは一日2便。午後発と深夜12時発。知らない土地に夜中着くのは嫌だし、ベオグラードにこれ以上居てもイマイチ埒が明かないので、今日の深夜、移動する事決めた。一国を2日ずつで駆け抜けているので、両替代が少々もったいない。。ベオグラードは今日も雪。ヨーロッパにいる時、ずっと食べたかったクレープが200円であったので、それが食べれた事だけが良かった事で、あまりいい思い出は出来ませんでした。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月17日 (土)

旧ユーゴの首都、ベオグラード。

 昨日はオシム監督がこちらの新聞の一面にでていたので、Sany2154 何事かと思っていた。無事を祈ります。今日は、ボスニア人の街サラエボからセルビア人の街ベオグラードへ移動。旧ユーゴの首都だっただけあって、かなり大きな街だ。山の中でバスがエンストし代替のバスに乗り換えるというアクシデント付きだったが、8時間掛けてなんとか無事到着。
 東欧ではガイドブック(地図)を持ってないので、予約した宿にたどり着くまでが、到着後のひとまずの大仕事。今日は雪模様で、重い荷物を持ってこけてはまた骨折してしまうので、安全策でタクシーを利用。ボラレ気味だったが、寝不足と移動疲れで戦闘意欲がわかず、初の泣き寝入り。宿は、極限の狭さ。頼りのインターネットも話と違い、Sany2168 繋がらないとあっては、宿を変えようとも思ったが、これまた前述のごとく、泣き寝入り。さいさき悪いスタートだ。
 ボスニアの人達が、黒目がちでそんなに鼻も高くない、ちょっとアジア寄りの顔立ちの人が多いのに対し、セルビアの人達は瞳が青く、鼻筋がとおった僕の想像していた東欧人の風体の人が多いような気がする。なんというかとっつきやすいボスニア人に対し、僕の「潜在的欧米人に対する劣等感」を見事に喚起してくれるようなナリのセルビアの人達は、道を聞くにも気が引けてしまう。まぁ、実際しゃべったらいい人達なんだろうけど。。
 元共産圏である東欧諸国にも、もちろん凄まじいスピードで西欧化の波は押し寄せているが、ことSany2170 音楽に関しては一線を画している様だ。大都市のクラブにでも行けば別なんだろうが、モロッコの商店でも流れていたヒップホップの類いの音楽は全く聞かれず、ビートルズや他の有名西欧ミュージシャンの曲などもほとんど流れてこない。若者を含めて、オリエンタル調のさしづめ「ムード歌謡」とでも言える音楽が、もっぱら主流のようだ。ベオグラードに入って、水道水の質が極端に悪くなった。コップに水を汲むと、最初透明だった水が序々に濁りだし、真っ白になるのは、どういうこっちゃ!明日はナントカしてこの街で楽しみを見いだし、悪いイメージを払拭してやります。せめて晴れて欲しいんだけどナァ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月16日 (金)

紛争の爪痕

 旅も2ヵ月半を過ぎ、さすがに僕の身なりは、さしづめ長期旅行者の様相Sany2128 を呈してきた。最近では十中八九、中国人(香港系)に見られる。色が黒くなってしまったため。今回の旅行の中で、おそらく一番寒いであろう地域の為、着られるものをいつも全部来て、結果、いつも同じ格好をしているのが、ちょっと恥ずかしい。今日も寒いが、幸いにも風がない為、体感温度は良好。
 サラエボは観光的な見所は特にないが、市街地戦の爪痕をみて、何かを感じたいと思い、街を歩き回る。この地一帯はトルコ系の人が意外にも多く、ボスニア人とはムスリム人の事を指すようで、僕らの宿はその結構広いトルコ人街の一角にある。インフォメーションで、「戦争の爪痕が特に残っている地域はどこですか?」という質問は、戦後何十年も経ってるならまだしも、さすがに聞き辛くて、感覚にまかせて街をぶらぶら歩いてみた。
 はっきり言って、戦後にできた建物を除いては、僕らが歩き回った地域では、建物にほぼ100%銃弾の痕が残っている。遠くから砲撃した痕跡もあるが、それだけでなく銃弾の痕があるって事は、近くで人間同士が撃ち合った。ってこと。よっぽどすさまじい市街戦Sany2137 であったと、ぼくらでも容易に推測できる。これでも復興は相当なスピードで進んだ。というのだから、想像するだけで恐ろしい。砲撃で壁がボコボコのアパートから「戦争を知らない子供達」が出てきて、笑顔で雪合戦をしている。元オリンピック会場に無数にたてられたお墓の周りを、若者達がジョギングしている。たくさんの負の遺産の中に、たくさんの日常がある。彼らの中では、戦争は終わっているのだろうか?また、僕らと同じ世代の人間達は、どういう心境で戦争を捉え、今この街で生きているのだろうか?改めて、平和な日本に生まれる事ができた偶然に感謝すると同時に、平和を守るって事にまで、考えが至るようになった。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月15日 (木)

オシム監督の故郷。

昨日到着したドブロクニクの街は駆け足観光。街並みの綺麗さが売りの街は、Sany2042 はっきり言って飽きたので、このくらいで十分だ。
午後3時サラエボ行きのバスに乗る。バスにはトイレは付いてないものの、日本の高速バス並みの快適さ。道路の舗装状況も今の所、良好である。クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナへの入国は至ってスムーズ。パスポートの押印すらなかった。
国境を越えると、標高もだんだん上がって行き、ついに雪模様になる。この辺になると、道沿いの小さな町の家やビルの壁に砲撃や銃弾の痕が見られるようになってきた。6時間以上かけて、雪のサラエボ到着。ただ、思った程は寒くない。この国はマルカという独自の通貨を持っているが、ユーロとの固定相場制のため、ユーロも普通に流通しているとの事で、両替はしない事に。Sany2097 。小遣い稼ぎの白タクの運転手に危うく騙されかけるも、日本語で怒鳴り散らして事なきを得、無事宿到着。小さな路地沿いに宿はあるが、その路地にまで銃弾の痕が残っている。こんな生活の匂いのプンプンする所で銃撃戦があってたとは。近くにはおそらく紛争のあとに建てられたのであろう新しいたくさんのお墓が並ぶ所もある。
宿はかなりコストパフォーマンスの高い宿で、宿の管理人のおっちゃんもとてもいい人なのだが、ただマリファナ吸いすぎで、フラフラなのがちょっと気にかかる。サラエボに入ってやっと東欧らしさが、もやっと見えてきた。明日から刺激が多い滞在を送れそうだ。

| コメント (1) | トラックバック (0)

2007年11月14日 (水)

アドリア海の真珠へ。

 今日はあいにくの雨。気温は10度。海沿いの地域は東欧と言えど、あまり寒くない。天気が良ければ、山に登って町を一望しようと思っていたが、結局12時くらいまで、寝てすごした。3時のバスで、モンテネグロからクロアチアへ移動。強行日程になるので、いくかどうか迷ったが、行った国数稼ぎと、「アドリア海の真珠」には、行ったほうがいい。との判断で、行くことにした。国境には、2kmほどの緩衝地帯があり、数件のSany2030免税店がある。そのうちの一軒にバスが入り、「まさかお買い物タイム?」と思ったら、運 転手が自分のタバコを買っただけでした。この仕事の役得でしょう。ドブロクニクには夜6時半到着。この時期になり、しかも曇り空だと、5時くらいには、ほぼ真っ暗である。城壁に囲まれた旧市街の中に安い宿をとる事ができた。街は小さいが、きれいな町です。昨日、今日と二日連続でリゾットを食す。原料の魚が安く手に入るからなのか、魚貝がたくさん入っていて、ダシが効いており、非常に僕好みでおいしいのだ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月13日 (火)

コトルの宿

 アドリア海をイタリアから渡り、東欧の上陸地モンテネグロ・バール到着。 気候は温暖、物資も豊富、通過はユーロとあっては、EU諸国となんら変わりない。なんでSany1962も、昨年?セルビアより独立したここモンテネグロは、EUやアメリカとの友好関係が深いらしく、アドリア海沿岸に点在するこの国のリゾートには欧米観光客が多数訪れる為、地域的にかなり裕福で、セルビアとは民族は同じなんだけど、この地域はたった60万人という人口で独立という道を選んだらしい。よって、民族は同じなので、他の旧ユーゴ諸国の分裂・独立の時とは違い、平和な独立だった様だ。港のある街バールはさして面白そうではなかったので、その足で沿岸沿いをバスで50km。世界遺産の都市、コトルへ移動。ここは日本でも有名なクロアチア・ドブロクニクにも近く、日本人団体観光客もよく訪れる観光地だそうだ。今日の宿は、その町のバスターミナル近くで、食べかけのお菓子を僕らの顔中にふりかけながら「ZIMMER?」(ドイツ語で部屋の意。)と話しかけてきたおばさんについていき、その人の姉ちゃSany2006 んの家の一室に泊まる事に。この地域には、ゲストハウスと呼ばれる民家の一室を貸す宿が多い。とは聞いていたが、こんなに宿っぽくない部屋に泊まれるなんて、モロッコ以来の民泊体験っぽくて、面白い。モロッコはニワトリの匂いがした部屋だったが、ここは清潔で、おばちゃんも優しい。ここが、ゲストハウスをしてるのは、旦那さんや兄弟が先のコソボ紛争にかりだされて、亡くなり、部屋が空いているからとの事。僕らと話すときは明るく笑っているが、この前まで身近で紛争があり、そんな悲惨な体験をしても明るく生きているおばちゃんの姿に感動する。つい最近まで、身近に紛争があっていた地域だというのは、こんな話を聞いても正直、実感が湧かない。。そのくらい、人も温和でゆったりとした町なのである。(下の写真が今回泊まった宿。家?)

| コメント (0) | トラックバック (0)