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2007年11月

2007年11月30日 (金)

インド式商売。

 デリーの南西約300kmにここジャイプールはある。結構有名な観光地らしく、観光客も多いが、あんまり面白い街ではない。「モハーン」のベジタブルカレーを食べにきたようなものだった。ここのカレーはほんとに美味しく、昨日に続き、今日もまたSany2658行ってしまった。

 これは昨日の出来事だが、ミネラルウォーターを買ったらふたが開いていた。どうも容器に普通の水を詰め替えて売っているらしい。その場で気付いて取り替えたから良かったけど、噂に聞いてたこれがまさか現実にあるとは。インド恐るべし。

 あと、インドで買い物をしてまともにつり銭を渡してくれる人は十中 八九いません。「足りんぞ。」って主張すると、あぁ、すまんすまん。間違えた。」ってくれます。毎回呆れますが、これも生活のためなのでしょうか?

 

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2007年11月29日 (木)

インドの列車。

 インドの駅のホームには沢山の人が座ったり、寝転んだりしている。 列車の2等の席を確保する為に待っている人達だ。
 指定席は幾つかのランクに分かれていて、綺麗とは言いがたいが、そこSany2642そこ快適。しかし自由席はと言えば、列車が着くやいなや、どばっと人が押し寄せすごい事になる。なんせ、特等と2等では運賃になんと15倍もの開きがある。2等席は、たいていどの列車もギュウギュウの満席。立ったままの体勢で、ときには何十時間も移動する人達が沢山いるのは、おどろきである。ただ女性や子供は優先的に座れるモラルはあるようで、そこにはインド人の持つ節度と心意気を感じる。
 今回僕らが乗ったのは、デリー~ジャイプール間の約300km。2等ならなんと230円!で行ける所を、僕らは1600円払った。さすがに2等は無理。しかし日本人のバックパッカーの中には、2等を使う人もいるようだ。僕らはまぁまぁのクラスに乗ったので、前の席の人は娘さんがアメリカに留学していたり、はたまたパソコンでDVDを見てる人がいたり、と今まで見てきSany2633 た人達とは違う明らかに上級カーストの人達に囲まれた。この人達はあの雑踏の中でどこで電車を待っていたのだろう。きっと駅にすごい待合室とかあるんでしょう。
 寝台席の小さい窓からのぞくインドの車窓はまるで映画のようだ。小さな村のテントで暮らす人々の食卓や、家路につく小学生達。そんな中で、真っ赤な太陽がインドの大地に沈み行く姿はとても感動だった。
 2時間遅れの午後8時目的地ジャイプール到着。自分で何度も道を間違いかなりの遠回りをしたくせに、「遠かった。」って身勝手な理由をつけてふっかけてきたリキシャーの運転手はとても良い奴だったので、言い値を払ってやった。本来、30円のところ、300円。他旅行者のためにも、ふっかけてきた値段をそのまま払うのは、良くない事と思うが、本来性格がいいと思える奴が、生活の為に心を鬼にして言っSany2652 ていると思うと、300円で喜んでもらえるなら。という気持についついなってしまった。
 今日もまた2食カレー。イスタンブールでコピーしたガイドブックに載ってた「地元の人に評判のベジタリアンの店」は今までにも増して美味い。シンプルでありながら、まさに「エレガント」な味だった。わたくし、どうもインドで太ってしまったようです。。
 あと、どこの国にでも沢山いた鳩と猫。この国ではほとんど見かけない。食ってるんじゃないか?と未だに本気で考えてしまうのは、僕だけだろうか?

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2007年11月28日 (水)

デリー二日目。

 インドには庶民の足として、様々な乗り物がある。タクシー、オートリクSany2625 シャー(幌付3輪バイク)、サイクルリクシャー(人力車の自転車版)など。。どこへ行くにも、3~4kmの範囲なら、交渉次第で30~50ルピー(90円~150円)程で連れて行ってくれる。現地の人はもっと安いんだろうが、あんまり値切ると旅行会社などに連れて行かれそうなので、それくらいは払うようにしている。特にお勧めは、サイクルリクシャーだ。日本の人力車が語源のこの乗り物は、その名の通り人力車のような優雅?な乗り心地。ちょっとした距離でも安いので、僕らは今日3回程利用した。
 2日目の今日は昨日よりもだいぶ慣れ、また更に街歩きが面白くなってきた。今の所の僕らの楽しみの一番手は、至る所に出没する旅を妨害しようとする者達をSany2584 、かわし突破する事。ほんと噂の通り、僕らから金をむさぼりとろうとする輩がバンバン声をかけてくる。駅の切符売り場に行くと、「オフィスは引越ししたよー。」とか、地図を見ながら歩いていると、「こっちを通った方が近道だよー。」とか、はたまたホテルのフロントでも「ツアーデスクで頼んだほうが、楽だし手数料も安いし、安全だよー。」とか。(実際そのツアーデスクに行ってみたが、案の定ぼったくりプライスを提示してきた。)相手も百戦錬磨のプロだけあって、なかなか賢く、「ほんとにそうなのかなぁー。」とか思ってしまいそうにもなるし、無視すると上手に寂しそーな顔をしやがるし、もしかしたらほんとに親切で言ってくれている可能性が全くない訳ではないし(きっと5人に1人くらいは本当に悪気のない、普通の親切な人なんだと思う。)、そんなんで、あんまり無下には断れない。それを相手を傷つけることなく、円満におさめる事ができたら、何故か結構な充実感があるのである。 
 今日もほんと様々な困難があったが、無事切符も通常Sany2615 価格で購入できたし、街歩きの末見つけた地元チックなカレー屋のカレーも美味かったし、怒らせたり傷つけたりする事もなかったし、ドキドキは多すぎる程あるが、大変に刺激的な一日を過ごせた。
 これをインド観光の醍醐味とするならば、かなりインドは面白いといえる。ただ、他の旅人達がおっしゃる通り、なかなか思い通りにことが運ばないので、個人旅行でのタイトな日程は結構きついかも?個人旅行でこういう楽しみ方を求めるなら、余裕ある日程を組んだ方が良いと思います。
 ちなみにインドの名誉のために一言。インドにおいて観光に携わってない人達はいい人が多い。僕らにもすごく興味をもってくれるし、元イギリスの植民地だけあって、かなり英語が通じ、コミュニケーションも取りやすいし。インド結構良い国ですよ。

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2007年11月27日 (火)

インド上陸。

 想像はしていたが、実際インドの光景を目の当たりにしてみると、感じる衝撃はそれ以上のものがあった。 Sany2543

 物乞いの姿はまだそんなに見てないが、野良牛が何頭も狭い路地に居座る姿なんかは、まさにあり得ない光景だ。そう、ここではたくさんの「あり得ない」光景を目にするであろう。

 インドの首都デリーは1200万人が住む大都市。飛行機が着陸する時、濃い霧だ、と思っていたそれは、実は大気汚染であり、実際街に出てみると、それはそれはすさまじい汚染具合で、すぐに鼻の穴は真っ黒になってしまう。この国で最も心配していたしつこい客引き達は、意外にも噂ほどではない。結構あっさり引き下がる。僕らもさすがに自然と旅慣れしてるだろうから、少しは扱いにも慣れてきたのかも知れない。  

 ホテルの隣の床屋が、「40ルピー」(約120円)っSany2575 て声をかけてきたので、思い切って髪を切ってみた。すると散髪が終わるや、何やら顔マッサージを始め、それがまた、やたら丁寧。何種類もクリームを塗り、何度もマッサージを繰り返す。「これで40ルピーはあやしいなぁ。まあ、ちょっと上乗せされても100ルピーくらいだったら、300円だしまぁいいか。」などど思考を巡らしながら、30分ほど続けてもらう。そしていざ支払い。「540ルピーです。」となんと10倍以上の値段をふっかけてきた。さすがインド。しかし値段表をみると確かに500ルピーって書いてあるし、どうも正規の値段のようである。値段を聞かない僕も悪かった。ただ、40ルピーって聞いて入った店で1600円も払うのはしゃくだったので、絶対払わん。という態度をとうしてみた。幸い店のオーナーがいなかったため、20分ほどの問答の末、200ルピーという妥協案を提示され、内心「ラッキー。」と思う気持ちをぐっとこらえ、「仕方ないな。」みたいな感じを装い、一件落着。ちょっと悪いかなぁ。とも思ったが、インドでは、ちょっと傲慢くらいでないと足元すくわれるんで。。 

 これからもますます難題が降りかかってくるであろうインドSany2611 。それでも心配ばかりが先にたってたこの地が、今日一日でだいぶ楽しく、興味溢れるものに感じられる様になりました。

 写真下のように フラッシュをたくと、ほこりが光に反射して汚染具合がよくわかります。

 

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2007年11月26日 (月)

長旅。

今日は、イスタンブールからインドへの移動日。

僕らはこの旅の移動のメイン手段として「世界一周航空券」を使っている。Sany2530 多少の制約はあるが、スターアライアンスという組合に加盟している航空会社の便に計24回、一年間の期限付きで乗れるかなりお得な航空券である。費用は一人35万円。イスタンブール~デリーの直行便は加盟会社内ではないので、いったんドイツまで戻り、そこからインドへという長旅。トランジット地ミュンヘンの空港では、美味しい地ビールで最後のヨーロッパに乾杯。をする事が出来ました。

インドは宗教上、お酒をあまり日常的に飲まない土地柄。モロッコも同じで、そこでは全く口にしませんでしたが、モロッコで体調を壊してしまった要因の一つは、お酒を全く飲まなかったから。とぼくは本気で思ってますんで、インドでは体調維持の意味も含めて、無理して飲まないのは やめようかな。と思っとります。

 写真は今回イスタンブールでお世話になった日本人宿「ツリーオブライフ」。

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2007年11月25日 (日)

トルコのいい所。

 今日はイスタンブール最後の滞在。そこで、ボスポラス海峡の対岸Sany2510、アジア側へフェリーでいってみる事にした。
 船で15分ほどでアジア側へ到着。ツーリスティックなヨーロッパ側に比べ、こっちはいたって庶民的。商店街の商品には値札がちゃんと付いているし、野菜や魚の商店なんかこれまで旅行中見た商店街の中で、最も新鮮な品揃え。食に対する意識の深さを感じた。特に魚。ヨーロッパでは、その日水揚げされた魚がその日に店に並ぶ様な流通システムは恐らく確立されておらず、目の死んだ魚達ばかりを目にしてきたが、ここはすごい。誰が見てもわかるくらいピカピカの今日水揚げされた魚がずらっと並ぶ。壮観だ。さすがアジSany2513ア側である。
 そんなに大きくはないが、本当に素晴らしい市場だった。
 あともう一つ、トルコの素晴らしいも の。
 すばり、スイーツ。特に乾き物系スイーツ。大袈裟じゃなく絶品だらけ。パン・菓子パン類もかなりいい。パンにしろ、スイーツにしろパサパサさせず、しっとりと。なのに軽く仕上がっている。パンのモチモチ感もツボを得ている。例えて言えば、煎餅とぬれ煎餅の間の食感をズバリ衝く事ができるのが、トルコ人の菓子職人なのだろう。このしっとり感、是非日本のパサパサ系お菓子にも取り入れて欲しいところです。

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2007年11月24日 (土)

経験談を聞く。

 イスタンブールの日本人宿というと、確かに東西からのいろんな旅Sany2486情報が溢れていて、実際、話なんて結構興味深いものもある。そしてやっぱり強者も多く、 「イラン」とか「ウズベクスタン」とか「パキスタン」とかいう国が、経験談のなかに普通に、しかも頻繁にでてくる。ここにいるとそんな国に行けそうな気になってしまうのがすごい。まぁ、そんなに興味はないんですけど。
 パキスタンはとっても人がいい。というのは旅人達の共通の意見。意外な感じです。インドは騙されるし、人が悪いというが、インドに住んでいる日本人の話では、「インド人は基本的に人はいい。ただ、貧しい人が多く、先進国からの観光客からナントカしてお金をもらわないと暮らしていけないから、騙そうとしちゃうんだ。」という事でした。
 ここイスタンブールもかなり観光化はすすんでおり、僕らがいる地域は宿は安いが、食べ物などは、間違いなくトルコの中でもダントツ高い地Sany2457 域であり、普通に席に着いて食事をとろうとすると、おかず一品で1000円はくだらなかったりする。もっと、コアな暮らしを知りたい願望もあるが、ここではあまり深追いはしません。まぁまぁ安全なものを食べ、ゆっくり休み、きたるこの旅最大の難所、インド訪問に向け体力を温存するのが最も大事な事だと思うので。
 写真上は「ドネルケバブ」。巨大な肉の塊がくるくる回っていて順にあぶられ、、削った部分を食べ、また回して焼く。と繰り返しどんどん塊が細くなっていきます。もともとトルコの食べ物ですが、今やヨーロッパ中で食べられていて、今回の旅でもっともお世話になっている食べ物です。
 写真下は焼き栗の屋台。これもヨーロッパの冬の風物詩のようです。

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2007年11月23日 (金)

名物、サバサンドの味。

イスタンブール名物に「サバサンド」というのがある。Sany2415 アジア大陸とヨーロッパ大陸を分かつ「ボスポラス海峡」は双方の大陸から来た旅行者達の一つの到達点であり、その海峡を眺めながら、そのサバサンドを食べる。こういう立地にあって、イスタンブールはご存知の通り東西文化の合流点。いろんな文化がなんとなく絡み合い、街全体に確かに独特の空気が流れている。そんな中でアジアの匂いのするサバの塩焼きを、西欧文化の象徴、サンドイッチにして食べる。。なるほど、東西文化の融合である。この食べ物はおそらくここでしか成り立たない。日本で食べてもきっとマズイ。ただ、ここで海峡を眺め、これまでの旅、そしてこれからの旅を思い起こしながら食べるそれは、格別なのである。

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2007年11月22日 (木)

イスタンブールに到着。

 夜発、早朝着の夜行バスなんて、ホントは乗りたくなかったSany2411_2 。バスの車両自体は良いのだが、トルコの国境が近くなるにつれ、どんどん舗装が悪くなり揺れるし、国境越えでは何回もパスポートを預かられ、寒い中外で荷物検査はあるし、僕らの前に乗ったブルガリアギャル3人組の喋り声は絶える事がないし。。。
 結局10時間ほどで、イスタンブール到着。この時トルコ通貨の現金の持ち合わせなし。地下鉄にも乗れず、動けない。探し回ったが、国際バスターミナルのくせにATMは見つからず。一時動く気にもなれず、ターミナルの片隅に座り込む。しかもここは想像以上に英語が通じない。そしたら一緒のバスのオーストラリア人がATMを探してきてくれた。どうもありがとうございます。
 そして、今回の宿、「ツリーオブライフ」に到着。僕たちSany2405 の旅では、初めての日本人宿への宿泊だ。いままで、なんか僕らは場違いっぽくて避けてきたが、他の旅行者から「ここはガイドブックが山ほどあって、東西からの旅行者が集まってるので、きっと有益な情報が得られるよ!」とのアドバイスを受け、今回宿泊を決断した次第。恐る恐る入り口のドアを開けロビーに入ると、いかにも長期旅行者!な人達がじろっとこっちを睨む。(実際は睨んでないんだろうが、多分誰もがそう感じるでしょう。)管理人は異常に神経質な人で、読んだガイドブックを棚に直すときもちゃんと定位置に直してるか、目でチェックする様な人。部屋は注意書きの張り紙だらけ。いまどき高校の寮でもこんなんないでしょう。おまけに街をぶらぶらして帰ってきたら、断水してました。それでもみんなは明るくトランプ。漫画を読む。談笑。。みんな逞しい人達ばっかりです。よって今日はシャワー無し。まぁ、かなり安いんでいいんですけど。
 ここでは、ガイドブックのコピーができるので、明日はアジア各国のガイドブックをコピーしまくってやります。

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2007年11月21日 (水)

東欧の田舎町。

久々、快晴。田舎の朝は、寒くてもさすがに気持ちいい。どこの国でSany2367も田舎に行くと人が良くなるのは一緒で、ここは今までの宿の中で、最高に優しい管理人さんだ。最後にここにこれて良かった。東欧の教会や僧院は旅行シーズンではないのもあろうが、どこも人が少ないし、おごそかで、キリスト信仰でありながら、どこかワビサビとも言える情緒に 満ちている。また、東欧の中でも所得水準の低いブルガリアのそのまた田舎町だけあって、結構古い車が走っている。旧東ドイツ製の悪名高い公害車「トラバント」が何台もあるのには、驚きである。
 あと何泊かしたかったが、今日の夜行でイスタンブールへ移動。寝台のある列車で移動する予定だったが、国際列車の切符は何故か午後4時までしか購入できないらしく、仕方なくバスにて移動する事に。Sany2373

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2007年11月20日 (火)

ブルガリア正教の総本山。

ブルガリアと言えば、そうヨーグルト。スーパーでも、カフェでもSany2232 、キヨスクでも想像以上にヨーグルトを見かける。昨日買っておいたヨーグルトを朝食べて、「ブルガリアでヨーグルト」達成。東欧では、大都市巡りだけだったので、今日はブルガリア正教の総本山「リラの修道院」の日帰りツアーに参加。東欧の修道院は雰囲気があるって聞いていて、行ってみたいとは思っていたが、西欧の教会とは違う、匂い、雰囲気があり、山奥という立地もあるが、今まで見た宗教施設のなかでは、一番心に残った。ソフィアは昨日の一泊のみ。今日は宿で会った日本人の学生に勧められたブルガリアの田舎町に移動。夜ついたが、それでも人といい、町並みといい、雰囲気の良さがにSany2283 じみ出ている。やっぱり長期旅行は田舎町を訪問しないとダメですね。日程の都合で一泊しか出来ないのが残念。ブルガリアは物価も安いし、結構お勧めですよ。

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2007年11月19日 (月)

ブルガリアで中華。

 勝手な主観ではあるが、ブルガリアの首都ソフィアは今までの東欧諸国に比べてSany2220 、明るく開かれた街という印象。ホステル検索サイトでも快適そうな宿がたくさんあり、長期旅行者には人気のある街のようだ。セルビアで会った日本人に教えてもらった中華の店にさっそく行って、「八宝ラー菜」と「海鮮米粉」を食す。付いてきた白米は最高にクサクテ食えず。ただ現地の皆は普通に食べてた。。同部屋になった台湾人のおっさんは英語ペラペラで、インターネットにうまく接続できずに困っていると、手動で設定を変えて繋がるようにしてくれた、とてもスマートな人。50歳くらいで、身なりも汚いが、部屋でもいろんな人とコミュニケーションを自然に取れて、かっこよかった。その人に寄ると、台湾や香港に行くより、中国の内陸をまわった方が、面白いよ。という事で、そっちのルートも計画してみようかな?と思う。うちの親父Sany2227 は10数年前、仕事で中国南西部にすんでた事があるが、その時はまだ日本人は好かれておらず、石を投げられた事がある。と言っていた。僕は中国人にそっくりなので、まぁその心配はないでしょうし。

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2007年11月18日 (日)

予定変更、今日ブルガリアへ。

 次の目的地、ブルガリアの首都ソフィアまでは移動時間12時間と、Sany2208 長い。バスは一日2便。午後発と深夜12時発。知らない土地に夜中着くのは嫌だし、ベオグラードにこれ以上居てもイマイチ埒が明かないので、今日の深夜、移動する事決めた。一国を2日ずつで駆け抜けているので、両替代が少々もったいない。。ベオグラードは今日も雪。ヨーロッパにいる時、ずっと食べたかったクレープが200円であったので、それが食べれた事だけが良かった事で、あまりいい思い出は出来ませんでした。

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2007年11月17日 (土)

旧ユーゴの首都、ベオグラード。

 昨日はオシム監督がこちらの新聞の一面にでていたので、Sany2154 何事かと思っていた。無事を祈ります。今日は、ボスニア人の街サラエボからセルビア人の街ベオグラードへ移動。旧ユーゴの首都だっただけあって、かなり大きな街だ。山の中でバスがエンストし代替のバスに乗り換えるというアクシデント付きだったが、8時間掛けてなんとか無事到着。
 東欧ではガイドブック(地図)を持ってないので、予約した宿にたどり着くまでが、到着後のひとまずの大仕事。今日は雪模様で、重い荷物を持ってこけてはまた骨折してしまうので、安全策でタクシーを利用。ボラレ気味だったが、寝不足と移動疲れで戦闘意欲がわかず、初の泣き寝入り。宿は、極限の狭さ。頼りのインターネットも話と違い、Sany2168 繋がらないとあっては、宿を変えようとも思ったが、これまた前述のごとく、泣き寝入り。さいさき悪いスタートだ。
 ボスニアの人達が、黒目がちでそんなに鼻も高くない、ちょっとアジア寄りの顔立ちの人が多いのに対し、セルビアの人達は瞳が青く、鼻筋がとおった僕の想像していた東欧人の風体の人が多いような気がする。なんというかとっつきやすいボスニア人に対し、僕の「潜在的欧米人に対する劣等感」を見事に喚起してくれるようなナリのセルビアの人達は、道を聞くにも気が引けてしまう。まぁ、実際しゃべったらいい人達なんだろうけど。。
 元共産圏である東欧諸国にも、もちろん凄まじいスピードで西欧化の波は押し寄せているが、ことSany2170 音楽に関しては一線を画している様だ。大都市のクラブにでも行けば別なんだろうが、モロッコの商店でも流れていたヒップホップの類いの音楽は全く聞かれず、ビートルズや他の有名西欧ミュージシャンの曲などもほとんど流れてこない。若者を含めて、オリエンタル調のさしづめ「ムード歌謡」とでも言える音楽が、もっぱら主流のようだ。ベオグラードに入って、水道水の質が極端に悪くなった。コップに水を汲むと、最初透明だった水が序々に濁りだし、真っ白になるのは、どういうこっちゃ!明日はナントカしてこの街で楽しみを見いだし、悪いイメージを払拭してやります。せめて晴れて欲しいんだけどナァ。

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2007年11月16日 (金)

紛争の爪痕

 旅も2ヵ月半を過ぎ、さすがに僕の身なりは、さしづめ長期旅行者の様相Sany2128 を呈してきた。最近では十中八九、中国人(香港系)に見られる。色が黒くなってしまったため。今回の旅行の中で、おそらく一番寒いであろう地域の為、着られるものをいつも全部来て、結果、いつも同じ格好をしているのが、ちょっと恥ずかしい。今日も寒いが、幸いにも風がない為、体感温度は良好。
 サラエボは観光的な見所は特にないが、市街地戦の爪痕をみて、何かを感じたいと思い、街を歩き回る。この地一帯はトルコ系の人が意外にも多く、ボスニア人とはムスリム人の事を指すようで、僕らの宿はその結構広いトルコ人街の一角にある。インフォメーションで、「戦争の爪痕が特に残っている地域はどこですか?」という質問は、戦後何十年も経ってるならまだしも、さすがに聞き辛くて、感覚にまかせて街をぶらぶら歩いてみた。
 はっきり言って、戦後にできた建物を除いては、僕らが歩き回った地域では、建物にほぼ100%銃弾の痕が残っている。遠くから砲撃した痕跡もあるが、それだけでなく銃弾の痕があるって事は、近くで人間同士が撃ち合った。ってこと。よっぽどすさまじい市街戦Sany2137 であったと、ぼくらでも容易に推測できる。これでも復興は相当なスピードで進んだ。というのだから、想像するだけで恐ろしい。砲撃で壁がボコボコのアパートから「戦争を知らない子供達」が出てきて、笑顔で雪合戦をしている。元オリンピック会場に無数にたてられたお墓の周りを、若者達がジョギングしている。たくさんの負の遺産の中に、たくさんの日常がある。彼らの中では、戦争は終わっているのだろうか?また、僕らと同じ世代の人間達は、どういう心境で戦争を捉え、今この街で生きているのだろうか?改めて、平和な日本に生まれる事ができた偶然に感謝すると同時に、平和を守るって事にまで、考えが至るようになった。

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2007年11月15日 (木)

オシム監督の故郷。

昨日到着したドブロクニクの街は駆け足観光。街並みの綺麗さが売りの街は、Sany2042 はっきり言って飽きたので、このくらいで十分だ。
午後3時サラエボ行きのバスに乗る。バスにはトイレは付いてないものの、日本の高速バス並みの快適さ。道路の舗装状況も今の所、良好である。クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナへの入国は至ってスムーズ。パスポートの押印すらなかった。
国境を越えると、標高もだんだん上がって行き、ついに雪模様になる。この辺になると、道沿いの小さな町の家やビルの壁に砲撃や銃弾の痕が見られるようになってきた。6時間以上かけて、雪のサラエボ到着。ただ、思った程は寒くない。この国はマルカという独自の通貨を持っているが、ユーロとの固定相場制のため、ユーロも普通に流通しているとの事で、両替はしない事に。Sany2097 。小遣い稼ぎの白タクの運転手に危うく騙されかけるも、日本語で怒鳴り散らして事なきを得、無事宿到着。小さな路地沿いに宿はあるが、その路地にまで銃弾の痕が残っている。こんな生活の匂いのプンプンする所で銃撃戦があってたとは。近くにはおそらく紛争のあとに建てられたのであろう新しいたくさんのお墓が並ぶ所もある。
宿はかなりコストパフォーマンスの高い宿で、宿の管理人のおっちゃんもとてもいい人なのだが、ただマリファナ吸いすぎで、フラフラなのがちょっと気にかかる。サラエボに入ってやっと東欧らしさが、もやっと見えてきた。明日から刺激が多い滞在を送れそうだ。

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2007年11月14日 (水)

アドリア海の真珠へ。

 今日はあいにくの雨。気温は10度。海沿いの地域は東欧と言えど、あまり寒くない。天気が良ければ、山に登って町を一望しようと思っていたが、結局12時くらいまで、寝てすごした。3時のバスで、モンテネグロからクロアチアへ移動。強行日程になるので、いくかどうか迷ったが、行った国数稼ぎと、「アドリア海の真珠」には、行ったほうがいい。との判断で、行くことにした。国境には、2kmほどの緩衝地帯があり、数件のSany2030免税店がある。そのうちの一軒にバスが入り、「まさかお買い物タイム?」と思ったら、運 転手が自分のタバコを買っただけでした。この仕事の役得でしょう。ドブロクニクには夜6時半到着。この時期になり、しかも曇り空だと、5時くらいには、ほぼ真っ暗である。城壁に囲まれた旧市街の中に安い宿をとる事ができた。街は小さいが、きれいな町です。昨日、今日と二日連続でリゾットを食す。原料の魚が安く手に入るからなのか、魚貝がたくさん入っていて、ダシが効いており、非常に僕好みでおいしいのだ。

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2007年11月13日 (火)

コトルの宿

 アドリア海をイタリアから渡り、東欧の上陸地モンテネグロ・バール到着。 気候は温暖、物資も豊富、通過はユーロとあっては、EU諸国となんら変わりない。なんでSany1962も、昨年?セルビアより独立したここモンテネグロは、EUやアメリカとの友好関係が深いらしく、アドリア海沿岸に点在するこの国のリゾートには欧米観光客が多数訪れる為、地域的にかなり裕福で、セルビアとは民族は同じなんだけど、この地域はたった60万人という人口で独立という道を選んだらしい。よって、民族は同じなので、他の旧ユーゴ諸国の分裂・独立の時とは違い、平和な独立だった様だ。港のある街バールはさして面白そうではなかったので、その足で沿岸沿いをバスで50km。世界遺産の都市、コトルへ移動。ここは日本でも有名なクロアチア・ドブロクニクにも近く、日本人団体観光客もよく訪れる観光地だそうだ。今日の宿は、その町のバスターミナル近くで、食べかけのお菓子を僕らの顔中にふりかけながら「ZIMMER?」(ドイツ語で部屋の意。)と話しかけてきたおばさんについていき、その人の姉ちゃSany2006 んの家の一室に泊まる事に。この地域には、ゲストハウスと呼ばれる民家の一室を貸す宿が多い。とは聞いていたが、こんなに宿っぽくない部屋に泊まれるなんて、モロッコ以来の民泊体験っぽくて、面白い。モロッコはニワトリの匂いがした部屋だったが、ここは清潔で、おばちゃんも優しい。ここが、ゲストハウスをしてるのは、旦那さんや兄弟が先のコソボ紛争にかりだされて、亡くなり、部屋が空いているからとの事。僕らと話すときは明るく笑っているが、この前まで身近で紛争があり、そんな悲惨な体験をしても明るく生きているおばちゃんの姿に感動する。つい最近まで、身近に紛争があっていた地域だというのは、こんな話を聞いても正直、実感が湧かない。。そのくらい、人も温和でゆったりとした町なのである。(下の写真が今回泊まった宿。家?)

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2007年11月12日 (月)

旅も半分を迎えました。

ちょうど旅も半分を迎えると同時に、先進諸国の旅も終わりを迎え、 これからはアジアを中心とした第三国の旅です。今、モンテネグロ行きのフェリー乗り場でメールを打ってます。港の乗り場には、モンテネグロ行きとアルバニア行きの乗客がおり、最近まで鎖国状態だったアルバニア行きの人達は、東欧らしい暗い表情をしており、港独特の暗い空気感を含めて、東欧行きの雰囲気が徐々に盛り上がってきています。Sany1960
 旅も半分を迎えたんだなぁと思うと、なんだか感慨深いものがあります。あまりに思い出が凝縮しすぎて、「80日しか経っていない。」というのが信じられません。半年以上は経った様なそんな感じです。これから先の旅の楽しみは、物価が安い事と、その分いい宿に泊まれそうな事。あとは米、汁、麺文化に突入すること。国別ではインドの文化面。タイ、ベトナムの食べ物。中国南西部の街並み、文化。香港に再訪出来る事。など。。心配な点はやはり健康面です。(特にインド。水で体調を壊す人が多いらしいので。。)モロッコでは二人揃って体調を壊してしまったので、細心の注意を払って、イソジンでしっかりうがいをする様、心掛けます。楽しむためには、体調管理が一番と肌身に沁みましたんで。アドリア海を渡るフェリーはすごく星が綺麗らしいんですが、あいにく曇りなのが、残念。アドリア海の向こうにはどんな世界が待っているのでしょう。今は、すごく楽しみです。東欧は飯うまかったらいいなぁ。あんまり期待しない方がいいんでしょうけど。。

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2007年11月11日 (日)

災い転じてワイン祭り

 いろんな事が起きた一日でした。南イタリアは、個人旅行者にはいろいろとSany1896_2 不便な事が多い。とは聞いていたのですが、まさか日曜日に私鉄が運休であるとは、想像すらつきませんでした。代行運転のバスも日が暮れてからの一本だけ。しかもそのバス停は誰に聞いてもわからない。解らなければ「わからない。」って言ってくれればいいものを、適当な答えを教えてしまうのがどうも日和見的な南イタリア人の気質らしく、その適当な答えに終始振り回されっぱなし。タクシーは200ユーロと言われ、もちろんパス。
 そこで、最後の手段、「ヒッチハイク」を敢行する事にしました。いつかはする事になるかなぁ。とはおもっていましたが、ついにその日が来たという感じ。幸い天気も良く、絶好のヒッチハイク日和?で概算100台目位で、配達中のおじさんに乗せてもらう事が出来ました。この車が止まってくれた時の嬉しさって、表現するのがホント難しいけど、かなり大きくしかもあまり経験出来ない種類の感動です。但し、その到着地は目的地ではなく、まだ半分。しかもそこからの移動手段はなく、(小さな町なので、タクシーすらない。。)ついに観念して、町に唯一あるホテル(☆☆☆☆)で値切り、50ユーロでその町「NOCI」に宿泊する事にしました。この時は、まさかここでのSany1909滞在がこんなに思いで深い事になろうとは、まだ想像すら出来ませんでした。
 チェックインが終わり、スーパーでも探そうと町を散策すると、なんかテントやらステージやら屋台やらを準備する気配。しかしその看板等を見てもイタリア語オンリーで全く解せず、人通りもまばら。なんだかなぁ。って小一時間歩いてると、7時くらいから急に人が増え始め、なんか皆一様に首から同じものをぶらさげ、ワイングラスを手に持っている。どうやら僕らは、イタリアの新酒ワインの解禁祭りに遭遇してしまった様だ。ワインとかもちろん大好きな僕達は、できればフランスでヌーボーの解禁にでくわしたかった位なので、まさか偶然にも泊まる事になった見知らぬ田舎町で、こんな素晴らしい祭りに遭遇できるとは。ホントに夢のようだ。
 この祭りのシステムは、5ユーロでグラスを買い、町に十数か所あるいろんな種類の新酒ワインのポイントのうち、5種類選んで飲んでいい。という物。二Sany1919 人いれば計10種類味見ができる。新酒ばかりこんなにテイスティングできる機会なんてそうない。。近郊からは沢山のワイン愛好家達が集まっており、グラス片手にそこかしこで「サルーテ!」の声が聞こえる。夕方まで静まり返っていて、宿も決まらずとても寂しく感じたこの町が、同じ町とは思えない程、活気に満ちている。明らかなよそ者は完全に僕らだけ。それだけにかなり注目を浴びている様で、ワインを注いでくれる量も、こころなしか多め。買い付けに来たと思って、詳しく説明しようとする人もいたりする。おかげですっかりいい気分になっちゃいました。
 いやぁ、最初はどうなる事と思ったが、旅の中でも、かなり上位に入る思い出深く、楽しい一日になりました。これも辛抱強く、楽観的な視点を持ち続ける事ができたおかげ。いつでも、どんな事があっても楽しくしてやろう。という気合が全ての物事をプラスに変えるパワーになる。という事だと、改めて実感することができました。
 
 イタリアの田舎町では、午前中やけにおしゃれした老人達を数多く見かける。(写真上)

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2007年11月10日 (土)

アルベロベッロ

 以前ウルルン滞在期を見てたら、小倉優子が、南イタリアにパスタ修Sany1861行に行ってました。その時に見たとんがり屋根の街並みが、なにかしら心に残っていて、今回、イタリアでの日程に余裕がでたおかげで、その町アルベロベッロを訪れてみる事に。
 いざ、駅に降り立つと、ことのほか寒い。やや内陸寄りで高地だ。という事もあるが、フロントの人曰く「今日は特に寒いねー。」との事で少し安心。この町は、どうやら特に日本人に人気らしく、結構な割合で日本語の看板を目にする。確かによくよく考えてみると、特に日本人好みの「かわいい系」の町である。時々日本人ばっかりになる観光地ってのがある。何故なのかなぁ?メディアの影響かなぁ?とかって考えていたが、つまり 日本人に人気の場所には、人気になるなりの理由がある。と、どうやらそういう事のようである。Sany1839 今日の宿は、少々高くついたがそのとんがり屋根(トゥルッリ)のホテルに泊まってみる事にした。(といってもそこが町で一番安い宿らしい。) 部屋に入ってみると今回の旅のなかでは、母と一緒だったスイスを除いては、ダントツ一番の宿だ。外は寒いが、室内はオイルヒーターの温もりが心地よい。ベットもフカフカ。しかもキッチン付きなので、この地方の名産パスタの「オレキエッテ」を買い、部屋でパスタを作って食べた。ずっと料理はしたかったのだが、キッチンがなかったり、あっても汚くてする気にならなかったりしてたもので。。その点でも満足した。
 長く続いた先進国の旅ももうあと僅か。なので、少し贅沢して明日も泊まりたいとも思ったが、やっぱり宿代が高いので、明日は近郊のもう一つの世界遺産であるマテーラに移動することにした。幸いにまぁまぁ安い宿も取ることができました。

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2007年11月 9日 (金)

東欧の寄港地決定。

今日は移動日。西海岸にあるナポリから、アドリア海沿いの東海岸へ。Sany1824 今後の予定は、イタリアの東海岸からアドリア海を渡り、ミルコ・クロコップの故郷、東欧方面へフェリーで抜けるという事はおおよそ決めているのだが、ネット等で調べてもその船の予約が取れるかどうががいまいち解らず、この先の日程は、乗船日が決まらないと何も決まらないのでとりあえず、港のある街バーリへ移動。ひたすらぶどう畑とオリーブ畑の中を走る道はなかなかのものだったが、連日の疲れが溜まってるのか、ほとんど寝て過ごす。イタリアはもともと他のヨーロッパ諸国に比べて、英語が通じにくい国ではあるが、南に行くに従いどんどん通じなくなってくる。今日の宿の管理人は全く解さない。。 昨日は不法労働者であろう屋台の物売りのアフリカ人から、ものは試しと帽子を3ユーロで購入したが、この街はその手の人達もおらず、ナポリとはうって変わって、まぁまぁ洗練された様相。今朝、いつもの様にモロッコで購入した、「ドルチェ&ガッバーナ」のジーンズを履いてみると、なんと早くも左前ポケットに穴が。。。まぁSany1817、見えるとこではないからいいようなものの、もしお金でも入れてたら。。買い物はいいけど、安物買いの、、にならないよう注意せねばなりません。
 宿に着いて、早速フェリー乗り場へ。クロアチアの一大観光地ドブロクニクへのフェリーは水曜日までないとの事。月曜日にモンテネグロのこれまた保養地、バール行きのフェリーがあるそうなので、それに乗船することに決めた。それから、サラエボ→ベオグラード→ソフィア(ブルガリアの首都)→イスタンブールとおそらく移動する事になりそうです。東欧は初訪問なので、無茶苦茶楽しみなんですが、聞くところによると、最近は訪れる欧米観光客が増加し、物価が上がっている。というのと、どうやら大陸性気候で寒いらしい。というのが、ちょっと気がかりではあります。

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2007年11月 8日 (木)

好きな映画のロケ地

 今回の旅の計画の中で、早い段階からここだけは行こうね。Sany1789 と決めていた場所。ナポリの沖に浮かぶ小島、プロチーダ島。僕らの大好きな映画、おすぎも大絶賛の「イル・ポスティーノ」のロケ地になった島なのです。
 フェリーで約40分、港に到着。特に観光地ではないため、乗客のほとんどは地元の客です。降り立つと島独特の何ともいえぬゆるい雰囲気に包まれます。普通にオート三輪が走っていたり、仕事をするでもないおっちゃん達が世間話をしていたり。。観光局を兼ねたレンタバイク屋で自転車を借り、一周7~8kmほどの島をぐるっと一周する事にしました。港のちょうど反対側の集落が主なロケ地となった場所。写真でもお分かりの通り、カラフルないかにもイタリアの漁村とSany1796 いう風景にしばし感動。網を繕う漁師さん達を含めて、まるで映画そのままの風景に、思わずその映画の主題歌を二人でほぼ同時に歌いだしていて、大笑いしてしまいました。またその映画の主人公が、好きな人に送る詩を考えていた海岸、その人と出逢ったカフェなども、道中偶然にも発見する事が出来、おんぼろな自転車でしたが、借りてよかった。とつくづく感動。また漁村で立ち寄ったレストラン(というか、出店に近い。。)では期待はしてなかったにも関わらず、期待を大幅に上回る新鮮な魚介類のパスタとミックスフライを堪能。ボリュームも満点。食べきれず、お持ち帰りしました。港町の食事処はこうでないといけませSany1811 ん。というまるで見本のような店でした。イタリアは大都市続きだったので、田舎を満喫、非常に思い出深い一日となりました。
 イタリアに旅行に行かれる際は、大観光地巡りになりがちですが、一つでも島ないし田舎町を組み込むとぐっと思い出深い旅行になると思いますよ。

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2007年11月 7日 (水)

ナポリといえば。。

 今日はイタリアでたまりにたまった観光疲れを拭い去るべく、Sany1707 午後3時起床。。。昨日書くの忘れていましたが、ナポリといえばそうピザです。ここには、ピザを食べに来たと言っても過言ではありません。
 昨日は、福岡の某有名ピザ屋の店長もお勧めする、行列のできるピザ屋「ダ・ミケーレ」に行って来ました。ちなみに、ベネチアで食べたピザ屋の名前も「ダ・ミケーレ」。まんまパクリかと思われます。 6時半頃、行列をさけるにはちっとばかし遅かったかな?と思い行ってみると、まだガラガラ。そうです。こっちの人の夕食の時間はかなり遅く、お店の夜の営業は観光地を除くとほとんどが夜8時から。5時過ぎにはすでに暗くなるヨーロッパでは、暗くなってから店が開くまでのこのタイムラグが、6時から営業に慣れている僕らにとっては、非常に長く感じられるのです。さて、いざピザをほおばると、Sany1721 美味し。メニューはマリナーラとマルゲリータしかなく、2~3分ででてくるスピードといい、客の回転の速さといい、まるでナポリ版「元祖長浜屋」のような店なのであります。この釜は、常時ピザが7~8枚くらい入ってますが、それでも全く火力が落ちないくらい大きく、いつ来ても同じ状態の良いピザが食べれるので、不動の人気が保たれているんだと思います。
 今日は、朝起きてすぐはピザを食べる気はしなかったのですが、ナポリでやむなくピザ以外を食べてはずして落ち込むよりは、いっそ気持ち悪くなってでもピザと心中しちまえ。と夕食には良さそうなピッツェリアを物色し(毎回夕食をたべる店の物色には小一時間を使います。)いざ、入店。またまた美味し。あっさり直径35cmのピザを一人で完食。帰りはスーパーでイタリアのビールを購入。ピザを食べると異常にのどが渇き、イタリアのとりわけあっさりとしたビールが喉に染み渡る時は、えもいわれぬ幸せなひとときなのであります。明日は憧れのプロチーダ島訪問予定。イタリアの小島。夢のようなひとときが過ごせそうです。

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2007年11月 6日 (火)

ナポリは意外と大都会。

 またもや、鈍行列車に揺られて3時間。南イタリアの中心、ナポリ到着です。ナポリといえば、カプリ島やポンペイ遺跡、アマルフィ海岸など有名観光地があまた近くにある場所。「ナポリを見て死ね。」とは、かつての皇帝がナポリのあまりの美しさに思わず発した言葉だそうで、それだけに期待も大きい。 駅に降り立つと、街自体僕らの想像以上に大きく、Sany1713 僕らがイメージしていた爽やかな田舎の街というおもむきは残念ながらなし。ただし、北イタリアの都市にはもうない、いい意味での雑多さや喧騒が街に溢れていて、勝手な想像ではあるが、EU統合前のイタリアを見せてもらったようなそんな気になる。僕らにはこれくらいの街のほうがなんだか居心地がいい。まちに信号はあるが、歩行者用の信号はない。渋滞もハンパじゃないようで、クラクションの鳴りようはまるで香港のようだ。またローマでの街頭物売りは警察の目を常に気にしながら、こそこそやっていたが、ナポリは堂々としたもんで、まだ警察も取り締まれていないようである。そんな中たどり着いた今回の宿は、これまた下町のど真ん中。間口の狭い、上に長い空きビルを借りて、ホステルやアパートをどうやら経営しているようで、二階から五階くらいまでが貸し部屋だったり、普通にどっかの家族が住んでいたりする。なかなか面白い滞在になりそうだ。ちなみにここのホステルのオーナーはどうやらゲイのようである。。

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2007年11月 5日 (月)

満足のその訳は、、

ローマではいろんな事で満足する事ができた。街にはアフリカやインドSany1638 系の移民が偽ブランド品などを売っているが、それを買って日本にも持って帰ろうとすると、空港の税関で没収されるのだそうだ。僕らは、ポルゲーゼの蚤の市にいったが、ダウンジャケットとスニーカーが旅行中に必要だったので、きちっと目標通りの値段で手に入れる事ができた。裏路地にあるセレクトショップも結構可愛くて、最初に入ったお店で気に入ったベルト(嫁さんの。)を買ってしまい、またまた買い物熱に火がつきそうに。。夜は3晩ともレストランで食事。特にパスタはいろんな種類を食べて、奇跡的にはずれがなく、とにかくそれが一番の満足。どうも僕の場合、その土地が気に入るかどうかの最大のポイントは人でも景色でもなく、どうやら食Sany1667 べ物にあるようです。もちろん観光のほうも充実。特にこれって思い出せる見所はないけど、ガイドブックや地図を見ながら、観光ポイントをどんどん塗りつぶしていく感じが充実感があって、とても楽しかった。ただ、向こう3都市プラスバルセロナでは惜しげもなく、買い物に食事にとお金を使ってしまったので、ナポリからはそろそろ節約せねばならなくなりそうです。。

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2007年11月 4日 (日)

ヨーロッパにおける日本車事情。

 旅行に出てずっと興味を持って見てきた、車の事。。
 アメリカでは、予想以上の日本車の多さに、驚きと喜びを覚えたが、ヨーロッパは想像してたよりはるかに日本車が少ない。特にイタリア、スペインはその少なさが顕著だ。意外である。そのかわり、まだ日本車の台数には及ばないが、韓国車「現代」「大宇」「KIA」などをよく見かけ、「smart」という韓国製のミニカーに至っては大ブレイクしている様で、その名を掲げた販売代理店を多数見かける。デザイン性ではまだ日本車や欧州車に及ばず、今は値段の安さで売れているんだろうが、これにデザイン力が付いたら、日本車市場もますます圧迫されるSany1592_2であろう。円安でべらぼうな利益を出している日本企業もまた円高に戻ると韓国企業に席巻されるのではという危惧を覚える。事実、白物家電、携帯電話市場においては、すでに韓国製品が日本製品を凌駕しているのが現状だ。
 また、興味を持って見れる事が、どこの国でも田舎に行けば行くほどイメージとは逆にベンツの割合が増えていくって事。特に第三国と言われる国ではそれが顕著だ。このからくりは、結局ベンツが一番壊れにくく、古くなっても乗れるため、中古車が巡り巡って第三国や所得水準の低い田舎町へ流れるということのようだ。事実、モロッコまで含めたヨーロッパのどの国も、タクシーはベンツの割合がダントツ多い。ベンツの丈夫さはどうやら本物である様だ。
 ローマ二日目の今日は、コロッセオ、現代美術館、蚤の市(有名映画「自転車泥棒」のロケ地でもある。)など訪問。コロッセオは紀元前の時代には、人間対人間の殺し合いなどが行われていたらしく、映画「グラディエーター」の世界がホントに存在したんだ。と改めてその闘技場を目の当たりにして思う。全く興味のなかった西洋古代史にも少し興味がでてくる。ちなみにローマでは毎日贅沢をして、レストランで飯を食ってるが、どこもはずれなく美味い。まぁ、これだけ真剣に魅せ探ししてると、店を見る目がますます養われてて、店をはずさない自信もじょじょについてきますし。おそらくまずい店もあるんだろうけど。

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2007年11月 3日 (土)

ローマのお手軽有名処。

Sany1580  フィレンツェを出発し、鈍行列車にて首都ローマへ。ここローマこそ世界で最も観光客が集まる世界最大の観光地といってもいいだろう。それゆえ、ツーリスト向けの安レストラン、様々なタイプのホテル、観光情報局などがしっかり揃っており、便利のいい街だ。それと同時にヨーロッパ屈指の大都市であるため、ニューヨークやパリと同様、移民の数も多く、ベネチア、フィレンツェなどより比較的安く生活できる。当然、庶民派の店も多いので、ここでは観光、食事、ショッピング等すべてを満喫するつもりです。ちなみに到着初日の今日はスペイン広場、トレヴィの泉などお手軽な有名処を歴訪。どうもこっちの大型連休に僕らの訪問が重なったらしく、写真の通りの鬼のような人手で、ローマの休日で有名なスペイン階段も座るところなしでした。。

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2007年11月 2日 (金)

トスカーナ地方とフィレンツェ

 イタリアは想像はしていたが、世界各国からの観光客でゴッタ返している。特にここフィレンツェはすごい。日本からポンっとやってきたら、間違いなく感動する街並みSany1533_2なのだろうが、僕らには少し味気なく感じる。ので、到着2日目である今日は近郊にあるトスカーナ地方を代表する田舎町、サンジャミニャーノに足をのばしてみた。イタリアは食費は高いが、交通費は結構安い。しかも街中のバスに至ってはなんとなくタダ乗りできる雰囲気が漂っており、地元の人を含めておそらくほとんどの人はお金を払ってないと思われる。僕らもイタリアでは頻繁にバスを使うが、まだ一度もお金を払ったことがない。。アムステルダムのトラム、ドイツ、チェコの地下鉄等も同様、ほとんどタダ乗りしてました。どうやって、利益だしてるんだろう?とも思うが、それら交通機関のほとんどが、市営、国営という事でなんとなく理Sany1572 解できた。今まで日帰りトリップは交通費がもったいないという理由で極力避けていたが、バス賃安いので、今回いってみようという事になったのだ。ここ、サンジャミニャーノは世界遺産にも登録されている、中世の街並みをそのまま残す街で、屋根だけでなく、建物の壁の色に至るまですべて統一されており、そのまま中世にタイムスリップしたかの様な素晴らしい街が堪能できる。 フィレンツェからの道中はワイン畑やその他の樹木の紅葉がとても綺麗でこれまた楽しめる。トスカーナには他にも魅力的なまちが沢山あるよって、旅先で会った日本人が言ってたのを、今更ながらに思い出し、旅の計画にこの地方をもっとゆっくり組み込まなかった事をちょっと後悔した。街には沢山革製品の店があり、デザイン良し、お値段ほどほど、という事で嫁さんの目がギラギラしていたが、持ち帰りが大変なので、今回は我慢。イタリアでは、買い物の誘惑に耐えるのも、大きな仕事の一つとなっています。

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